大正時代の贅を尽くした和洋折衷の町家建築 くろちく 八竹庵(旧川崎住宅)。
八竹庵は、京都の祇園祭を支える新町通になくてはならない、歴史的に貴重な町家建築ですが、平成30年の所有者変更に伴い、一時解体や移築が検討されるなど取り壊しの危機にありました。
京都で和の暮らしを総合的に演出する、株式会社くろちくがその危機を救ってくださり、誰でもこの貴重な街や建築を見学することができるようになっています。
建物観覧ができるので、地元京都の方はもちろん、京都観光の際に足を運んでほしい、京都の魅力に触れられるスポットです。
*この記事は、町家や古民家の魅力を伝える、姉妹サイト「ケのハレ」から転載しています
大正時代の贅を尽くした和洋折衷町家建築旧川崎家住宅(くろちく 八竹庵)
くろちく「八竹庵」(旧川崎家住宅)は、京都市指定有形文化財および京都府医学史研究会跡に指定される、歴史的に貴重な町家建築です。
大正15年、室町随一の豪商「四代目 井上利助」が贅の限りを尽くし完成したこの京町家は、当時最先端の技工と流行を取り入れつつも、和と洋が折り重なるような設計に、建築史における時代の断片が垣間見えます。
後に呉服商の川崎氏の住宅となった「川崎家住宅」。
白生地商「川崎家」の住宅兼迎賓館として活用されていた当時は「紫織庵」と名付けられ運営されてきました。
近年、所有者の変更に伴い存続の危機にあった「川崎家住宅(八竹庵)」でしたが、令和3年(2021)、「京文化の継承」をテーマに和雑貨・伝統意匠建築設計・町家再生などを手掛けてきた株式会社くろちくが所有することに。
八幡山の「八」と黒竹の「竹」から「八竹庵」と名付けられ、令和4年(2022)から一般公開されています。
くろちく「八竹庵」(旧川崎家住宅)
・住所:〒604-8205 京都府京都市中京区三条町340
・アクセス:地下鉄烏丸線「烏丸御池」駅下車 徒歩約6分
・開館時間:10:00 〜 17:00(受付終了 16:30)
・休館日:木曜日(貸切や臨時休館の場合が御座いますのでインスタグラムをご確認くださいませ)
・入館料:一般 ¥1,700、中高生 ¥500、小学生 ¥200
*一般の入館については「文化財保護継承協力金」1,000円を含んでいます。
・SNS:instagram
フランクロイドライト様式を洋間に採用
「川崎家住宅」(現 くろちく八竹庵)は、大正時代の贅を尽くした和洋折衷町家建築として歴史的に貴重な建物で、大正当時の流行である「フランクロイドライト様式」を洋間に採用した、伝統的な京都の「大塀造」。
敷地248坪に茶室・サロン・洋館・玄関棟・庭・2階建ての主屋・便所・浴室・2棟の蔵からなる京町家です。
洋館部分を関西近代建築の父「武田五一」が設計しました。
洋間には、旧帝国ホテル外壁と同様の石灰岩とタイル。格天井に寄木貼り床、電熱式暖炉と気品溢れる空間です。
現在は入場者向けの受付として使用されています。
八竹庵の2階北東に位置するのが、大正時代の贅を尽くした20帖の洋間サロン。
暖炉・シャンデリア・寄木細工の床、鎌倉彫の壁など大正時代の贅を尽くした作りで、暖炉や空気抜き、シャンデリアなどに武田五一の特徴的意匠を見ることができます。
昭和初期には来客のサロンとして、グランドピアノが置かれ、パーティーが開かれていました。
上坂浅次郎が設計した八竹庵の茶室や和室
茶室や和室部分を担当したのが、数寄屋建築の名工「上坂浅次郎」。
八竹庵の玄関は路地の奥に東西に並んで3箇所あり、東玄関は主人・客人用、中央玄関は家人用、西玄関は使用人用として使い分けられていました。
特に東玄関は独立した玄関棟として、踏み込み土間と四畳半の部屋からなり、最も格式の高い玄関として主人と客人のみが使用でき、住人在宅中は必ず主人の履き物が置かれていましたそうです。
表塀に接して前庭に位置し、長四畳の小間で下座床を構え、点前座には北山杉の中柱が立ち、雲雀棚が特徴です。
炉は台目切で、入り口には二枚障子の貴人口があります。明治から大正期にかけての数寄屋の名工、上坂浅次郎が手がけました。
客間と仏間賓客を迎える部屋として利用していた和室。
15畳の和室は、付書院・床の間・脇床(天袋・地袋)を備えた、八竹庵の中で最も格式の高い部屋です。12畳半の和室も床の間・平書院がつき、仏壇が収められ仏間の役目も果たしています。
両方の和室に関わるアールデコ風3燈式照明器具は、八竹庵の中でも珍しい照明器具です。
客間と仏間の欄間は日本画家「竹内栖鳳」の作。東山三十六峰をモチーフに、桐一枚版で彫刻されています。
庭となみうちがらす現代では希少価値の高い「波打ちガラス」が、建築当初から一枚も割れず現存しております。
明治20年以降日本でもガラスが製造できるようになりましたが、手づくりのため気泡が入り、表面が波を打ったようになっていることから「波打ちガラス」と呼ばれています。
中庭は京町家の中庭。軒端近くに山もみじを植えて、枝越しに庭を見せる手法が用いられています。
庭正面の六角燈籠を主景に、井筒などを添え、ここに至る飛石までも庭の見せ場として設計されています。左方に黒光りする景石、その背後に配置した白石はそれぞれ、黒が亀、白が鶴をあらわし、商家の縁起を模しています。
裏庭、玄関に通じている、庭師用出入りトンネルは、庭師や大工が土足のまま出入りできるように作られたものです。
敷地西側に並び建つ、切妻造本葺2階建ての土蔵。道具や建具、行事などで使う衣装を保存していた。
今なお残る、八竹庵の鉾見台
川崎家住宅は京都市中京区新町通三条下るに立地し、毎年7月に開催される祇園祭では建物の前の通りに山鉾の一つである「八幡山」が建てられます。
主屋2階には、祇園祭の時期に狭い通りを通過する山鉾を見物するための「鉾見台(ほこみだい)」が設置されています。
当時は投げられる粽(ちまき)を受け取るための川崎家専用の観覧席として使用されていました。
見学はもちろん、ゆっくり時間を過ごせるのも八竹庵の魅力
くろちく「八竹庵」(旧川崎家住宅)は、春夏秋冬前庭・中庭の雰囲気が変わります。
縁側に腰掛けて中庭を眺めるもよし、和室でまったりするもよし、町家時間を堪能することができます。中には見学中に和室で眠りについてた方がいるとか。
半日ゆっくりできる町家です。